「GODZILLA 怪獣惑星」禁じ手に挑んだ意欲作

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※ネタバレあり

「ゴジラ」の新しい可能性とは?

「『シン・ゴジラ』は絶対に、特撮として王道のゴジラを復活させるものになるだろう、と。であるならば、アニメの『GODZILLA』は『未来のために新しい可能性を開拓する企画』として考えることができるので、そこでこの企画を引き受ける意義を見つけることができたのです。」(ストーリー原案・脚本 虚淵玄 映画パンフレットより)

まさに「新しい可能性の開拓」として、この映画は従来のゴジラ・シリーズでは禁じ手とされてきた描写への表現に挑んでいる。

禁じ手1.舞台設定が原生林?

たとえば、原生林がメインの舞台、という設定。
これは「南洋の島エキゾチシズム」頼りにでっかいカマキリやクモやエビと戦ったり、ブサイクな息子が出てくる昭和の3作以後、例がない。

理由は当然で、原生林では都市破壊がない。
崩壊するビル、折れ曲がるタワー、吹き飛ぶ御当地建築、決壊するダム、炎上する都市、逃げ惑う群衆。
見慣れた風景が瞬時に危険な非日常に変貌するカタルシスが、原生林ではない。

禁じ手2.アニメーションであることの限界

そしてもうひとつの禁じ手は、虚淵玄自身パンフレットで、「やはり『ゴジラ』の王道の手法というのは特撮をおいて他にない」と書いている通り、アニメーションという手法そのものだ。
実写ならではの巨大さと重厚感あふれる「怪獣」の質感は、アニメーションは苦手とするところ。
実際に過去の日本のアニメでは、メカニックを想起させる鎧状のウロコと飛翔のダイナミズムをウリとするドラゴン系や、非脊椎動物のシルエットに無数の触手を備えたモンスター系は登場しても、シンプルなシルエットに微細な皮膚の凹凸が山のように積み重なることで巨大感を成立させているゴジラ型の「怪獣」は、ほとんどお目にかかったことはない。

しかし、そうした禁じ手は一方で、この手法ならではの「ゴジラ好きが見たかった」シーンを可能にしている。
それが「肉弾戦」だ。

「可能性を開いた「禁じ手」の答え

可能性1・人類VS.ゴジラの肉弾戦

「シン・ゴジラ」は、ライバル怪獣にもファンタジー超兵器にも頼らず、「人類が知恵と勇気と技術力で、直接ゴジラに立ち向かう」という物語にしたことで、超熱血展開となった。
この、巨大な相手への直接攻略のカタルシスは、スサノヲノミコトvs.八岐大蛇、ダビデ王vs.巨人ゴリアテ、ペルセウスvs.海の怪物という神話の時代以来の、人類の普遍的な好みと言える。

漫画家の近藤ゆたかの短編で、吉良邸討ち入りに参加できなかった赤穂浪士7人が、“呉爾羅”の被害に苦しむ大戸島の住民のために立ち上がる「元禄大戸島異聞」という作品がある。(宝島社「THEゴジラCOMIC」所収)
「忠臣蔵」+「七人の侍」+「ゴジラ」であり、生身の人間が地形を活かした罠を駆使してゴジラに肉弾戦を挑むという、なんで東宝はこれを実写化しない!と筆者は大絶賛作なのだが、こうした「肉弾戦」に、今回の作品は挑んでいる。

パワードスーツや一人乗りホバーでゴジラの周囲をブンブン飛び回り、主人公視点であらゆる角度からゴジラに肉薄していくその迫力はお見事!
巨大なゴジラに主人公たちがダイレクトに肉薄していく姿は、まさに手に汗握る「こんな怪獣ものが見たかった!」描写だ。
いやもう、楽しい楽しい!
まさに、スピーディーなアニメの利点を活かした表現である。

そしてこれの空間を活かした攻撃のカタルシスは、ゴジラの周辺の空間を空ける必要があるため、「都市破壊のカタルシス」より「原生林上空での空間攻撃カタルシス」を選ぶことで可能になったとも言えよう。
原生林で大丈夫?の不安は、これで差し引きゼロである。

可能性2・アニメだから可能な巨大さ

そして肝心のゴジラの重量感だが、CG技術や構図の工夫で頑張ってはいるが、ややのっぺりした質感に、正直60%ぐらいの満足度かな?
…と思っていたら、ラストにとんでもない300メートル越えの超巨大ゴジラが登場することで、その不満は一気に解消された。

みっちりと詰め込まれた皮膚感描写に、圧倒的な重量感。
「絶望は進化する」というキャッチコピー通り、人類の肉弾戦なんて無意味と感じ、へたり込むしかない巨大感。
まさに地鳴りのような怒涛の音響も効果的で、天変地異・巨大災害の権化としか言いようがない、壮大な怪獣王としての貫禄。
この超巨大ゴジラの登場は、「ここまでののっぺりゴジラは、この“本家”の迫力を際立たせるための、引き算描写かよ?」と思わざるを得ないほどの大迫力だ。
おそらくこれを実写でやろうとすると、実写ならではのリアリティが邪魔になって、しらけてしまうのではないか。
まさにアニメーションという手法だからかろうじて成立した描写と言える。

これらの結果、舞台設定やアニメ手法といった「禁じ手」に手を出した不安は解消され、今作はSF世界でゴジラを描く新たな可能性を開くことにつながっていく。

マイナスポイントと2作目への期待

正直、映画として欠点もある

ここで、「この作品が3部作の序章である」ことを覚悟して見に行っている観客と、それを知らずに見に行っている観客、または知っていても「お金払っている以上、序章だから、なんて言い訳は許さない」という観客との間で、評価の差は大きく分かれるであろう。
この点は、今回の作品が残念ながら低評価の声が多いのも仕方がないと思うし、制作サイドに厳しい目を向けたいところではある。

他にも、豪華イケボ声優を揃えたことと、ポリゴン・ピクチュアズならではの「端正だが変化に乏しい表情描写」が相まって、ヘルメットをかぶるとキャラの区別がつかない!とか、主人公の性格描写が陰性の単細胞すぎて「ちょっとついていきたくないなー」と思わせたり、いろいろ難点がある映画であることは事実だ。
おそらく、このアニメ版1作目は興行的にも厳しい結果になろう。

ゴジラの未来をここに賭けたい!

しかし今後のゴジラは、日本式怪獣バトルが衰退の一途をたどった後、ハリウッドがスペクタクル・バトル・キャラクター路線を極め、一方の日本では「シン・ゴジラ」が怪獣シミュレーションとしての究極型を実現した今、ゴジラ映画は新たな可能性に挑まない限り、また袋小路に入ってしまうのは間違いない。

そんななか、「シン・ゴジラ」の後で公開される状況だからこそ、ゴジラの禁じ手に挑み、新たなる可能性を見いだそうとしている、そのフロンティア精神の行方を見定めたいゴジラファンにとっては、その挑戦は充分評価したいし、メカゴジラの登場と都市破壊カタルシスを示唆する2作目への期待は満々、という意味で、制作スタッフには賛辞を送りたい。

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